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ヤギツバの日記

大人気ブロガー「ちきりん」さんの二匹目のドジョウをどん欲に狙った、おちゃらけ社会派ブログです。

【「逃げるは恥だが役に立つ」でアドラー心理学を学ぶ】

逃げるは恥だが役に立つはどんなドラマだったのか?】

最近人気だったドラマは、

逃げるは恥だが役に立つ

でしょう。

 

契約結婚」という日常離れしていて、愛とは真逆に見える入り口から、「本当の愛」に近づいていく感覚が新鮮だったのです。

(ちなみにヤギツバは漫画で逃げ恥を読みました。)

 

 

逃げるは恥だが役に立つ コミック 1-7巻セット (KC KISS)

 

流れとしては、

 

・家事代行を頼まれる。

・仕事をきっちりする。

・信頼を得る。

契約結婚した方が得であると2人が判断し、契約結婚する。
 (家事に値段が発生する。恋愛はなし。)

・一緒に住む。

契約結婚がバレそうになったため、その雰囲気を克服するため、
スキンシップをとるようになる。

・恋愛に発展。

・愛するようになる。

 

となっています。

 

さて、この結婚は凄くうまく機能しているように見えます。

なぜ、うまくいっているのでしょうか?

 

それはずばりこの部分でしょう。

 

「労働を金銭に換算している点」

です。

 

今の日本で結婚がワークしていない理由はいくつも挙げられていますが、ヤギツバ的には

 

・家事は、女性が無料でやるという、古い結婚への価値観が残ってる。

・女性が男性並みに稼げる社会になった。

 

の2つのコンボが見事に決まっているのです。

 

 

【愛とは何か?】

さて、話は変わりますが、結婚するということは、愛することです。

ところで、「愛」とはなんでしょうか?

 

アドラー心理学によれば、

愛というのは、sexという行為をすることでもなければ、

好きになることでもありません。

 

愛というのは、「共同体」になるということです。

つまり、2人が機能として1つになるということ。

 

そして、ヤギツバ的には、人間の究極的な目標は、

「幸福を目指すこと」

だと思っています。

 

つまり、結婚とは、

 

1人の人間として幸福を目指すのか?

2人の人間として幸福を目指すのか?

 

の2択を決断するということなのです。

 

 

【幸福とは何か?】

またアドラー心理学を持ち込んでみましょう。

アドラー心理学では、人間の幸福は人間関係からしか生まれないということが、結論です。

逆説から入りましょう。

 

「もし、あなたが宇宙で一人だったらあなたは幸福を得られるか?」

 

誰かに何かを伝えることも、誰かに喜びを伝えることも不可能です。

尊敬することも、尊敬されることもありません。

誰かと一緒に何かを作り上げることも不可能です。

 

ご飯を食べて、生き延びる。

できることはそれだけでしょう。

 

その状態では、幸福が生まれないのは理解できると思います。

「幸福」とは、人間関係からしか生まれないのです。

 

そして、

「不幸」も人間関係からしか生まれません。

 

誰かに悪口を言われることも、貶されることもありません。

誰かがあなたの行為を邪魔してくることもないのです。

 

ご飯を食べて、生き延びる。

できることは結局それだけなんです。

 


【結婚はボラティリティを増やす】

株式投資をやっている人は、「ボラティリティ」という言葉をご存知かもしれません。

ボラティリティとは、「変動幅」のことです。

先ほど説明した通り、「幸福」も「不幸」も人間関係からしか生まれません。

人間関係を増やすということは、
「幸福」も「不幸」も呼び込む幅を増やすと言ことです。

人間関係をある程度排除すれば、
「幸福」も「不幸」も生まれにくいです。

落ち込んだ時は、一人になりたいことが多いです。

「それはボラティリティを減らしたい。」

という欲求に根源があると思います。

しかし、人間は、ボラティリティを増やした上で、
「幸福のみを拡大すること」
も可能だと思っています。


そのヒントが「逃げるは恥だが役に立つ」に隠されていたのです。

 

【尊敬すること、尊敬されると認識すること】

逃げるは恥だが役に立つの中では、家事に値段をつけていました。

しかし、旧来の結婚では、家事は妻がやって当たり前
という家庭がほとんどです。

「金を稼ぐのは男」「家事をやるのが女」
「女は金を稼ぐことができず、男が金を稼いでくる。」

つまり、男が上で女が下という縦社会の中にある結婚だったのです。

しかし、時代は変わりました。

女性が金を稼ぐことができるようになり、結婚は縦社会では
機能しなくなったのです。

今、結婚をするということは、縦社会を新たに構築するという、
難易度の低い類のものではなく、幸福を作り出すという、
人間の芸術に挑む覚悟が必要になったのです。

「好きだから」という単純な理由で結婚した場合、
結婚は苦痛です。

縦社会が機能しなくなっている苦しみに男側は苦しむでしょう。

そうではなくて、お互いに尊敬しあい、お互いに尊敬する。
そして、その尊敬の輪を広げることを目的とした結婚は、
まだまだ今後も機能していくと思います。

逃げるは恥だが役に立つ」には、一見、縦社会を構築するかに見えます。

「お金を渡す」という行為は、上から下へ流れるように見えるのです。

しかし、「しっかり仕事をしてもらえたから、お金を渡す」という、
尊敬を示す行為が伝わっているため、縦の関係ではなく、
横の関係の構築に成功しているのです。

お互いにお互いを尊敬しあう。

これが結婚には必要です。

お互いがお互いを尊敬しあった時、それは、共同体として機能することができます。

あなたは、包丁で手を切った時、止血をし、絆創膏を貼るという
治療を「当たり前」のように行うでしょう。

その「当たり前」を相手にも拡張させること。
それが共同体として機能するということです。

もちろん、縦社会の関係ではありません。

手は手としての機能を、脳は脳としての機能を。
あなたはあなたとしての機能を、妻は妻としての機能を持つ。

これにより共同体は生まれるのです。

「自己が凡人であることを認め、他者を他者であることを認め、
その上で、共同体を作り出すこと。」

これが、幸福になるために必要なことなのです。

これが横の関係です。

 

【幸福とは科学である】

共同体を拡張することは幸福につながりますが、
これを悪用する方法があります。

それが、悪徳宗教です。


オウム真理教などがいい例でしょう。

「なぜあんな宗教に嵌ってしまう人が後を絶たないのか不思議」
という人が、かなりの数居たと思います。

これは、私の推測ですが、信者たちは、
「幸福」を感じていたと思います。

これは、まるで共同体の一部になったかのように感じるからです。


自分が「お祈り」という形で尊敬を与え、
「役割を貰う」という形で尊敬を得ていると認識できたからです。

しかしこれは、社会と隔絶された中での幸福です。

共同体の範囲を切り離した中での幸福なのです。

自分の手を切り落とし、
「ほら、手は手だけでやっていけるし、本体は本体だけでやっていける。
幸せでしょ?」
と言っているのと同じです。

狭い範囲で幸福を感じるのではなく、広い範囲まで
幸福を感じる範囲を伸ばす。

これができるようになって、初めて「オウム真理教」を批判できるわけです。

「結婚」とは宗教と似ています。

しかし、「結婚」は、2人の幸福では終わりません。

2人の幸福を目指すとともに、共同体の範囲の拡大を目指すこと。

それが、出産であり、社会への貢献であるのです。

と、まあ、説教臭くなってしまいましたが、
「愛」ってそういうことなんだとこの本を読んで、気づきました。

 

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

幸せになる勇気


スイーーユー。